映画「パッセンジャー」感想(ネタバレなし)

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■独創的なアイデアが天才的。

●映画「パッセンジャー(Passengers) 」とは

アメリカでは2016年に公開された、SF恋愛映画である。日本公開は2017年3月24日。

ジム・プレストンを演じるのは「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」「ジュラシック・ワールド」のクリス・プラット。

オーロラ・レーンを演じるのは「X-MEN」「ハンガー・ゲーム」ジェニファー・ローレンスである。


●映画「パッセンジャー」序盤のあらすじ

超大型宇宙船アヴァロンは、地球から遠く離れた植民星ホームステッドIIへ向けて航行していた。

地球からホームステッドIIまでかかる時間は120年。

そのため、乗客の5000名はコールドスリープされ、アヴァロンは完全自動運転で目的地を目指していた。

しかし、地球から30年の距離で、アステロイドベルトに遭遇したアヴァロンはエネルギーシールドで防ぎきれない巨大な隕石と衝突してしまう。

この事故のために、1つの休眠ポッドが故障し、エンジニアのジム・プレストンがコールドスリープから目覚める。

予定より90年も早く、ただ1人だけ目覚めてしまったジムの運命は…。


●感想

以前、映画「君の名は。」感想で言及したように、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」

そのため、映画も数多く観ていると、似たような話やアイデアに遭遇することは珍しいことではない。

僕が今まで観た映画の数は軽く1000本を越えているし、映画以外の物語にもかなり多く触れている。

しかし、そんな僕でも、極稀に「こんなアイデアがあったのか!」と驚くことがある。

それが本作「パッセンジャー」だ。

本当は一切の予備知識を入れないで、この驚愕の脚本を堪能して頂きたいところである。

しかし、続編やシリーズもの全盛の現在の映画事情では、あえて「パッセンジャー」を観に行く人は少ないのかもしれない。

そう思うと、こういう映画こそ、当ブログで力を入れて紹介したいところである。


まず、「完全自動運転中の宇宙船で、予定より90年も早く、しかもただ1人だけ目覚めてしまう」というアイデアが天才的。

しかも、「再びコールドスリープに戻る方法はない」のだ。

ただ1人目覚めたジムは、念願の目的地に着くよりも先に、宇宙船アヴァロンの中で一生を終えなければならない。

考えただけでも恐ろしい状況である。


そんな重大なエラーに対して解決策が用意されていないのかよ!というツッコミはあるだろう。

僕も、「パッセンジャー」を観て、そもそも宇宙船アヴァロンのシステムはおかしいだろうということは散々考えた。

しかし、この前提なくして本作「パッセンジャー」は成り立たないし、そのため、解決策が用意されていないことへの設定は用意されている。

おそらく「パッセンジャー」の時代では、このような星間移動は、時間こそかかるものの、さして難しいものではなく、ジムが遭遇した事故は確率的にほぼ無視して良い程度のものであるのだろう。

それでも、万が一の事故に備えて解決策は準備しておくべきだろうと思うのだが、そこが「パッセンジャー」のテーマではない。

それに、現代社会を見回してもヒューマンエラーを起因とする重大事故はけっこう起きているわけで、その辺は未来であっても変わらないということだろう。


このような設定であるので、「パッセンジャー」の登場人物は極端に少ない。

もう1人の主要人物である、オーロラ・レーンが、どのように関わってくるのか、それは是非、実際に「パッセンジャー」を観て確かめていただきたい。


繰り返しになるが、「パッセンジャー」は「完全自動運転中の宇宙船で、予定より90年も早く、しかもただ1人だけ目覚めてしまう」というアイデアが素晴らしい。

そのアイデアを出発点として、現在、ここまで独創的な脚本が出て来るというのが驚きであり嬉しくもある。

この「パッセンジャー」の脚本を書いたのが、「プロメテウス」のジョン・スペイツ。

この感想を書くにあたって、いろいろ調べたところ、「パッセンジャー」の脚本は、未製作となっている優れた脚本を選ぶ「Black List」に2007年に選ばれていたらしい。

「Black List」というのも初めて知ったが、そこには過去に「アメリカン・スナイパー」なども選ばれていて、リストを見ているとなかなか興味深い。

そして、この「パッセンジャー」の脚本が、ほぼ10年前に書かれていたとは、これまた驚きである。


映画「パッセンジャー」は、様々なテーマを内包しており、観る人によって様々なことを感じることになると思う。

また、入口がまったくの予想外のアイデアからスタートするように、そのストーリーがどこに向かって収束するかもまったく予想できず、あれこれ考えることが出来て非常に楽しい

映画を観終わったあとも、アヴァロンのシステムについてあれこれ考えたり、インスピレーションが刺激されるお得な映画であった。


パッセンジャー感想用イラスト

"(Jim)What should I do."

"(Rocket)It is not like you."






 


映画「ドクター・ストレンジ」感想(ネタバレなし)

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■マトリックス以降、もっとも革新的な映像


●映画「ドクター・ストレンジ(Doctor Strange)」とは

マーベル・コミックを原作とする、アメコミ・ヒーロー映画。

「アベンジャーズ」を中心とする、マーベル・シネマティック・ユニバース作品であり、14作目にあたる。


●映画「ドクター・ストレンジ」序盤のあらすじ

ドクター・スティーブン・ストレンジは、難易度の高い手術を成功させてきた天才外科医。

傲慢な性格が欠点だが、その腕は確か。

ある日、彼は学会に向かう山道で交通事故を起こし、両手に深い傷を追う。

その傷を治し、外科医として復帰しようとするスティーブンだが、有効な治療法は見つからない。

しかし、スティーブンはある日、下半身不随の男が歩けるようになったという噂を聞き付ける…。


●感想

昨年、ネットでその予告編を目にした時から、日本での公開を心待ちにしていた「ドクター・ストレンジ」。

ようやく日本での公開となったので、早速観てきた。

「ドクター・ストレンジ」は、マーベル・シネマティック・ユニバースの作品であり、作品中で語られるように「アベンジャーズ」と地続きの世界観である。

そのため、ドクター・ストレンジは、今後、アベンジャーズに参戦することが予想される。

つまり、映画「ドクター・ストレンジ」は、新たなヒーロー誕生の物語で、序章にすぎない。


個人的に、映画「ドクター・ストレンジ」は、マーベル・シネマティック・ユニバースの作品の中では一推し。

アベンジャーズやマーベル・シネマティック・ユニバースに興味のない方でも、劇場で観る価値のある作品だと思っている。

理由は、その革新的な映像にある。

予告編にも登場する、ビルや街全体が傾き、形を変えていく映像は、「インセプション(2010)」を彷彿させるが、「ドクター・ストレンジ」はさらにそれを発展させたものになっている。

ビルなどが傾くだけでなく、その構造物の部位単位が回転・変化し、全体としてはさながら万華鏡のように見えるのだ。

この千変万化するステージを使ってバトルが繰り広げられるのだが、「ドクター・ストレンジ」は、それ以外にも目新しい映像の連続となっていて、非常に楽しい。

実際、僕は「ドクター・ストレンジ」を観ている最中に、「(映像面で)こんなに驚いたのは「マトリックス(1999)」以来だな」と思ったくらいである。


ストーリーは、ドクター・スティーブン・ストレンジの挫折と再生の物語であり、特に目新しいものではない。

序章であるので、ドクター・スティーブン・ストレンジが、いかにしてヒーローになったのかという、キャラクター構築の時間が必要になる。

どうしてもダルくなりがちなキャラクター構築の時間が絶対に必要になるために、構成は工夫されている。

まず、最初に謎のキャラクターの対決シーンが描かれ、そこですぐさま前述の建物が縦横無尽に変化する映像を堪能できる。

そこから、ドクター・スティーブン・ストレンジのキャラクター構築の時間が始まるわけである。


ドクター・スティーブン・ストレンジを演じるのは、ベネディクト・カンバーバッチ。

「スター・トレック イントゥ・ダークネス(2013)」で、敵役のジョン・ハリソンを演じたのが記憶に新しいところ。

天才外科医からスーパーヒーローになる、ドクター・ストレンジは、まさにハマり役と言える。

個人的には、ティルダ・スウィントンが演じるエンシェント・ワンが非常に良かった。

公開時間の関係で、日本語吹き替え版を観たのだが、樋口可南子の声も良かった。


映画「ドクター・ストレンジ」のストーリーは、さほど難しくない。

しかし、その斬新な映像を使って表現される世界観、さらには修行の末にヒーローになったドクター・ストレンジの能力など、説明が難しい要素がある。

それを、映像を駆使して分かりやすく説明しているのは特筆に値すると思う。

とくに、リンゴのシーンは、最後のバトルで何が起きているのかを理解させるために不可欠であり、よく考えられていると思った。

序章ではあるものの、ストーリーはきっちりこの作品で完結しており、今や一見さんお断り状態のマーベル・シネマティック・ユニバースの作品の中でも、単体で問題なく楽しめる。


余談だが、最近、僕の行きつけの映画館では、人件費の削減と思われる改悪が顕著で、3D版の公開がなかったのが残念でならない。

出来るなら3D版で観ることをオススメしたい。

さて、当ブログ記事でも何回か言及しているが、マーベル作品では、エンド・クレジットのあとにも追加の映像が待っている。

今回は、ご丁寧に映画の冒頭で「エンド・クレジット後にも映像があります」と表示されたにも関わらず、途中で席を立った方がけっこういた(笑)

しかし、これは勘違いも起きやすいなと思った。

何と、映画「ドクター・ストレンジ」は、追加映像が2回入るという珍しい構成になっているのだ。

最近のハリウッド映画のエンド・クレジットは2部構成になっているものが多い。

(1)主要キャストなどが豪華なグラフィックで表記されるエンド・クレジット。

(2)すべてのスタッフなどが黒字に白文字で長々と表記されるエンド・ロール。

「ドクター・ストレンジ」は、追加映像が、(1)と(2)のあとにそれぞれ違うものが挿入される。

そのため、(1)のあとの追加映像を観て、冒頭で説明されたのは、この映像のことかと、席を立ってしまったのだと思われる。

しかし、実際には最後の最後に、さらに追加映像があるというわけだ。

どちらも、今後に繋がるそれなりに重要な映像なので、お見逃しのないように。


ドクター・ストレンジ感想イラスト

"Where is here?"

"Here is the Akira Toriyama dimension."






 


映画「君の名は。」感想(ネタバレなし)

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■的外れな批判が多い不思議


●映画「君の名は。」とは

新海誠監督の6作目の長編アニメーション映画である。

公開は2016年8月26日。

いまだにロングラン上映中。


●映画「君の名は。」序盤のあらすじ

田舎町に暮らす女子高生・三葉(みつは)は、都会に憧れつつ、毎日を過ごしていた。

ある日、自分が東京で男子高生として生活する不思議な夢を見る。

そこから、彼女の周りでは不思議なことが起き始める…。


●感想

映画「君の名は。」観ようと思っていたが、ようやく観ることができた。

最初に言ってしまうと、非常に良かった。

現在、日本の映画の歴代興行収入ランキング4位に入り、大ヒットしている状況である。

しかし、不思議なのが、なぜか近い業界のプロフェッショナルからは猛烈に批判を受けているのだ。

これがまた的外れな批判が多いのだが、そういった部分も併せて考えてみたい。


まず、僕は、同じ話を映画化する場合、それを実写かアニメか選択できるとして、尚且つどちらで作っても一定以上のクオリティが保証されていると仮定した場合、実写で作った方が良い、と考えていた。

理由は、実写の方が説得力が増すから、である。

例えば、「LOVERS(十面埋伏 / House of Flying Daggers)(2004)」という映画がある。


この映画、ストーリーはめちゃくちゃだし、時制の描写もおかしい。

しかし、実写であるがために、妙に説得力があり、けっこう観れてしまう。

序盤の太鼓を使ったダンスのシーンは圧巻だし、手裏剣(ダガー)を自遊自在にコントロールして投げるのも、実写(CG)ゆえに、訓練すれば本当にこんな軌道で投げられるのでは?と思えてくる。

もし、これをそのままアニメに置き換えた場合、手裏剣がそんな軌道で飛ぶわけがないだろうと思われてしまう可能性が高い。


また、僕は、実写で成立するものをわざわざアニメにする意味もよく分からない。

例えば、アニメ映画の「おもひでぽろぽろ(1991)」


声をあてているのが、声優ではなく、実際に演技ができる柳葉敏郎と今井美樹。

キャラクターデザインも2人に寄せているし、声も本人丸出し。

さらに、舞台は実際にロケができる山形市。

柳葉敏郎と今井美樹で、実写で成立するのに、なぜこれをわざわざアニメにしなければいけないのか。


そういった考えの持ち主なので、「君の名は。」に関しても、実写で成立するのでは?と思っていた。

ところが、そういった話を友人とした時に、「アニメの方がストーリーに入り込める」と言われたのである。

なるほど。

確かにそれはあるかもしれない。


日本の実写映画の場合しか知らないが、その映画に出演した俳優が、バラエティ番組に出演し、一通り番組に参加したうえで、「今度、私が出演した映画が公開されます。是非ご覧ください」のあと、共演の芸人が「宣伝かい!」とツッコミを入れるところまでが決まりごとのようになっている。

これを決して一概に悪いことだとは思わないが、それから実際に映画を観たとして、切ない話なんだけど、あぁ、この俳優さん、この前バラエティ番組で頑張っていたなぁ、などと余計なことを考えてしまう可能性はある。

また、映像のクオリティがハリウッドレベルには到底及ばない日本の実写映画と、そのクオリティが世界水準である日本のアニメとを比較した場合、日本の場合はアニメで作ることに意味があるのかもしれないと思い直したのだ。

とくに、声優の選択さえおかしくなければ、アニメの方がストーリーに入り込めるという側面はある。

それに、「君の名は。」には、実写にしてしまうとけっこう生生しくなってしまうシーン、アニメでないと成立しないシーン、が存在する。

そういった意味でも、「君の名は。」に関しては、アニメであることが正解だという気がしている。


さて、かなり話が脱線してしまったが、「君の名は。」のストーリーである。

このストーリーを思い付いたとして、エンディングは大まかに2つ選択できると思う。

「君の名は。」のストーリーをルートAとして、エンディングの異なるルートBを仮定する。

ネタバレになるので、ルートBのエンディングをはっきり言えないが、何となく分かってもらえると思う。

要は、ルートAの逆パターンである。

僕は、「君の名は。」で、ストーリーが途中から意外な方向に舵を切った際に、てっきりこのあとはルートBになるのだろうと勝手に予想して、泣けてしまった。

ルートBをたどる作品は少なくないし、僕がこのストーリーを思い付いたら、間違いなくルートBを選択する。

あくまで僕の好みの問題であるが。

ところが、「君の名は。」は、予想外にルートAのストーリーであった。

いや、予想外というか、僕が勝手に逆パターンを予想していただけなのだが。

それで、あぁ、このパターンも良いなぁ、と、またそこで泣けてしまったのだ(笑)

しかし、ここで最初からストーリーを反芻してみると、なるほど、「君の名は。」は、設定も伏線も、きっちりルートAに向かって緻密に構成されていたことに気付く。

僕がルートBが好きなために、勝手に予想して泣いていただけのことである(笑)


「君の名は。」は、おそらく、ジャンルを問わず物語が好きな人は、他に似たような話の作品をいくつか挙げられるものと思う。

実際、「君の名は。」を批判しているプロフェッショナルは、それを「売れる要素がてんこ盛り」「当たる要素がてんこ盛り」と言っている。

しかし、これはちょっと見過ごせない的外れな批判だと思う。

なぜかと言うと、「アイデアのつくり方」の、ジェームス W.ヤングの言葉を借りれば「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」からだ。


ちょっと考えて欲しい。

現代において、物語とは過去のものから含めて膨大な数になっている。

「シェイクスピアの36分類(※)」などの俗説もあるように、物語のパターンは出尽くしていると考えることもできる。

つまり、評価されるのは、既存の要素の「新しい組み合わせ」の部分であるべきなのだ。

これをプロフェッショナルが「既存の要素がてんこ盛り」と批判しているのが驚きというか、失笑というか。


しかし、幸いにも、そういった的外れな批判を物ともせず、「君の名は。」は現在、世界規模でヒットしている。

「君の名は。」の、この「新しい組み合わせ」が、世界的に評価されているということだろう。

君の名は感想イラスト

(※)シェイクスピアの36分類:シェイクスピアは物語には36のパターンしかないと分類したという話…と記憶していたが、調べてみるとこれがどうにも怪しいので俗説とした。興味のある方は検索してみて欲しい。






 


映画「インフェルノ」感想(ネタバレなし)

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■シリーズから遠ざかっていた人も楽しめる


●映画「インフェルノ(Inferno) 」とは

ダン・ブラウン原作のロバート・ラングドンシリーズ「インフェルノ(2013)」を原作としたミステリー/スリラー映画。

映画「ダ・ヴィンチ・コード(2006)」「天使と悪魔(2009)」の続編である。

主人公のロバート・ラングドンを、前2作に続いてトム・ハンクスが演じる。


●映画「インフェルノ」序盤のあらすじ

ロバート・ラングドンは苦痛と共に病室で意識を取り戻す。

自分がなぜ病室にいるのか、全く記憶がない。

なぜか頭に浮かぶのは、世界が灼熱地獄(インフェルノ)になる恐ろしいイメージ。

そこへ、女性警官がやって来るが、彼女はラングドン目掛けて突然銃を発砲するのであった…。


●感想

(注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。)

映画「ダ・ヴィンチ・コード(2006)」「天使と悪魔(2009)」に続く、ロバート・ラングドンシリーズも本作「インフェルノ」で第3弾。

原作小説は、「ダ・ヴィンチ・コード(2003)」のあと、「ロスト・シンボル(2009)」「インフェルノ(2013)」と続いており、本作は同名の小説を原作としている。

さて、僕は「ダ・ヴィンチ・コード(2006)」「天使と悪魔(2009)」は原作を読んでから映画を観た。

その後、何となくロバート・ラングドンシリーズから遠ざかってしまい、「インフェルノ」は原作未読のまま映画を観ることに。

結果、非常に面白かった。


このシリーズは、主人公ロバート・ラングドンが宗教象徴学専門のハーバード大学教授という設定である。

以前にも言及したが、このシリーズは、「ミステリーの地の部分」があって、そこにさまざまな「薀蓄(うんちく)」が加わる事によって成り立っている。

これが両輪となることによって非常に面白い小説になっている。

しかし、この薀蓄部分が、図像学の分野であるために、小説では薀蓄の部分を丹念に描写できるものの、映画になるとそれが難しいという弱点があった。

それでも、「ダ・ヴィンチ・コード(2006)」「天使と悪魔(2009)」は、その難しさを克服し、及第点の仕上がりになっていた。

これは、「アポロ13」「ビューティフル・マインド」の名監督ロン・ハワードの腕によるところが大きいと思う。

幸いなことに、ロバート・ラングドンシリーズは、本作「インフェルノ」を含め、3作ともロン・ハワードが監督を務めている。

脚本は前作「天使と悪魔(2009)」に続きデヴィッド・コープ。

制作するチームが固定されていることが功を奏し、もはやそのさじ加減は完璧。

また、特筆すべきは、原作小説を書いたダン・ブラウン。

ダン・ブラウンは、最初の映画版「ダ・ヴィンチ・コード(2006)」の脚本を担当していた。

小説家の中には、自身の作品が映像化されると、それをフィードバックして映像化に適したストーリーを書けるようになるタイプの人がいると思う。

おそらくダン・ブラウンが、映画の脚本に参加したのが、良い経験になったのではないか。

そのため、「インフェルノ」は、まず「ミステリーの地の部分」が抜群に面白い。


原作未読のため、原作と映画の差異が分からないのが前提になってしまうが、映画「インフェルノ」は、基本プロットが秀逸。

まず、冒頭からラングドンが病室で治療を受けているというショッキングな入口。

ラングドンは、事故のために記憶障害を起こしており、ここ48時間の記憶が曖昧。

けれども、持ち前の洞察力で、窓の外の景色から、ここがイタリアのフィレンツェであることを把握する。

しかし、アメリカの大学で教鞭を取る生活をしているはずなのに、なぜイタリアの病室にいるのか?

記憶がない、怪我をしている、おまけに女性警官が銃を発砲してくる…いったい自分に何が起きているのか。

何も状況が分からないまま、ラングドンは逃亡するはめに。

この恐怖の状況に置かれたラングドンをトム・ハンクスが熱演しており、説得力がある。

また、ラングドン自身が記憶を失っているために、出て来るキャラクターが全て謎。

誰が敵で誰が味方なのかも全く分からない。

そして、自分がなぜ追われているのかさえ分からない。

それでも、ラングドンの頭脳と洞察力で、薀蓄部分の謎を解きつつ、ストーリーは進行する。


巧いのは、途中で観客が違和感を覚えるだろう部分。

僕も、細かい部分で「あれ?」と思ったのだが、それらは全て伏線になっている。

最終的には、それらの謎が解ける仕掛けが絶妙。

1度観ただけでは分からなかった人も、この映画を複数回観れば、その仕掛けの素晴らしさが分かるはず。

また、その謎の全貌もなかなか巧妙に仕掛けられており、今回ばかりは、もしかして記憶を失っているラングドンが何かをしでかしたのではとさえ思わせるのも巧い。


そういうわけで、僕は、この「インフェルノ」、原作未読で観て良かったと思ったのであった。


ロバート・ラングドンシリーズは、映画においては前2作で終わった感じがあった。

実際、最初の「ダ・ヴィンチ・コード(2006)」は「インフェルノ」の10年前の公開。

前作「天使と悪魔(2009)」からの本作までのブランクも長い。

そのため、僕のように、しばらくこのシリーズから離れていた人も多いのではと思う。

映画「インフェルノ」は、そのストーリーの内容から、原作未読の方が楽しめる。

そして、映画が気に入った人は、のちに原作の小説を読み、薀蓄の補完と、映画との差異を楽しむコースがベストではないかと思うのだ。


インフェルノ感想イラスト

"おそらく私を追っているのはターミネーターだと思う(Robert Langdon)"

"打ち所が悪すぎた(Sienna)"


● 関連記事:映画「インフェルノ」感想
● 関連記事:「天使と悪魔」と「ダ・ヴィンチ・コード」感想




 


映画「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」感想(ネタバレなし)

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■窮地に立たされる「ホースメン」


●映画「グランド・イリュージョン 見破られたトリック(Now You See Me 2) 」とは

2013年に公開された「グランド・イリュージョン(Now You See Me) 」の続編。

監督はルイ・レテリエから、「G.I.ジョー バック2リベンジ」のジョン・M・チュウに交代。

脚本は「グランド・イリュージョン」のエド・ソロモンが、引き続き担当する。


●映画「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」序盤のあらすじ

「グランド・イリュージョン」から1年後。

「フォー・ホースメン」は身を隠し、「アイ」からの新しい指示を待っていたが、何の音沙汰もない。

待つことに嫌気が差したダニエル・アトラスは、自らアイに接触することを試みるが、そこで不思議な体験をする。

それから間もなく、「フォー・ホースメン」に新たなミッションが下される…。


●感想

(注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。)

男は言う。

「僕は天候を操れる…この雨を…ストップ」

次の瞬間、降っていた雨が空中で静止。

この、「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」の予告編が非常に面白そうだった。


しかし、映画館で観る前に調べると、本作は何と「グランド・イリュージョン」の続編であるという。

以前にも当ブログで言及したことがあるが、最近の映画は、そのタイトルからナンバーを外したがる傾向にある。

それは、タイトルで続編であることを明示することによって観客が二の足を踏むことを避ける狙いがある。

しかし、それは作品が長期シリーズ化し、その世界観が観客の共通認識として定番化した場合にのみ有効であると思う。

個人的には、タイトルをナンバリングしてくれた方が作品を復習するうえでも分かりやすくていいと思うくらいだ。


さて、本作「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」の原題は、「Now You See Me 2」

前作「グランド・イリュージョン」の原題「Now You See Me」に2を付け、明確に続編であることを示している。

2作目である作品で、しかも内容は前作を観ていないと全く分からない直接の続編である本作のタイトルに2というナンバリングを入れないというのは、日本のローカライズの完全なる判断ミスだと思う。

DVD化の際には「グランド・イリュージョン2 見破られたトリック」というタイトルにすべきではないか。


さて、グランド・イリュージョンは、映画「グランド・イリュージョン」感想で書いた通り、前作がとにかく面白かった。

マジックのトリック、ストーリーのトリック、矢継ぎ早に展開されるアイデアがとにかく素晴らしい。


しかし、その続編である本作「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」の最大の懸念は、

まさに、前作が最後の大どんでん返しを含めて非常に完成度が高かったこと、

に他ならない。


どう考えても前作は越えられないのではないか。

いや、そもそも続編を作ることさえ難しいのではないか。


僕は、その予告編に胸躍らせながらも、期待と不安の入り混じった感覚で、映画を観始めたのであった。


今回の最初のミッションは、octaというIT企業のランチパーティをジャックし、その不正を暴くこと。

しかし、そこで「ホースメン」は、正体不明の敵に返り討ちに遭い、目的を達成しないまま逃走。

予め準備していた脱出経路のチューブを滑り降りると、そこはアメリカではなく、何と中国のマカオだった。

前作で、トリックを使い、ラスベガスとパリを繋いだ「ホースメン」であったが、これは紛れもない現実。

これはいったいどういうことなのか…。


「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」は、前作とは違ったリズムで構成されている。

3つのマジックで構成された前作のような疾走感はないものの、窮地に立たされる「ホースメン」と、その意外に満ちた展開は面白い。

さしずめ、マジック版ミッション・インポッシブルといった趣きである。


そして、予告編の雨を止めるマジックは、作品のラスト近くに仕掛けられていて、前作以上のカタルシスを生んでいる。


この続編が、前作製作時点で既に構想にあったのかどうかは分からないが、ラストに用意されたどんでん返しを含め、非常に完成度は高いと感じた。

すでに劇場公開は終わってしまっていて、紹介が遅れたのが心残りだが、前作同様、オススメの作品である。


さて、実はすでに本作の続編の企画が進行中であるらしい。

いや、「グランド・イリュージョン」「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」の2本で、キレイにまとまってるんだよな。

ここから続編作れる?

今回も、そんな疑問が頭の中でぐるぐるしているが、おそらく次作も僕の懸念を華麗に裏切ってくれるだろう。


グランド・イリュージョン 見破られたトリック 感想イラスト

"STOP!"


● 関連記事:映画「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」感想
● 関連記事:映画「グランド・イリュージョン」感想




 


映画「グランド・イリュージョン」感想(ネタバレなし)

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■もしもマジックを犯罪に使ったら?


●映画「グランド・イリュージョン(Now You See Me) 」とは

2013年のクライム・サスペンス作品である。

監督は「トランスポーター」のルイ・レテリエ。


●映画「グランド・イリュージョン」序盤のあらすじ

ダニエル・アトラス、メリット・マッキニー、ジャック・ワイルダー、ヘンリー・リーブス、3人のマジシャンと1人のメンタリストの元に、謎のタロットカードが届く。

カードの裏には、ある場所と時刻が記載されていた。

そこに集った4人は、1年後、「フォー・ホースメン」として、ラスベガスでマジック・ショーを開催する。

それは、常識では考えられない驚愕のマジックであった…。


●感想

(注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。)

2016年に、「グランド・イリュージョン 見破られたトリック」が公開された。

その予告編は非常に面白そうだったが、調べてみると、本作「グランド・イリュージョン」の続編とのことで、慌てて先に本作を視聴した次第である。

結果、こちらも非常に面白かった。

2016年現在、すでにDVDやレンタル等で観ることができるので、未見の方には是非オススメしたい。


さて、「グランド・イリュージョン」の基本的なアイデアは、

マジシャンやメンタリストが、そのスキルを犯罪に使ったら

というものである。


これまで、ありそうでなかったアイデアだと思う。

なせかと言えば、そもそも、手品と映画は相性が悪いから。

手品をテーマにした映画が少ないのが何よりの証拠である。

手品とは、マジシャンが何らかのトリックを使って観客を騙すものであり、基本的にはライブで行われる。

テレビの手品番組も、基本的には生放送である。

なせかと言えば、編集された番組ならば、いかなるトリックも容易に行えてしまうので、手品の意味がなくなってしまうから。

一方、映画は編集することが前提であり、さらにCGなどの特殊効果が使えるため、やはり手品の意味がなくなってしまうのだ。

この相性の悪さを、どう克服するのか。


「グランド・イリュージョン」は、主人公である「フォー・ホースメン」が、マジックを使って犯罪を行う。


最初のマジックは、

ラスベガスの観客の中から無作為に1人の人間を選び、その人間を、彼の使用しているパリの銀行内部に瞬間移動させ、同時にその金庫の中からお金を奪う

というものだ。


「グランド・イリュージョン」では、この不思議な出来事を、探偵役のサディアス・ブラッドリー(モーガン・フリーマン)が種明かしをするという構成にすることで、手品と映画の相性の悪さを克服しているのだ。


物語は、3つのマジックを使った犯罪で構成されている。

すぐに明らかになるが、それらは犯罪ではあるものの、「フォー・ホースメン」は、不正や悪事を働いた人間を懲らしめるために行っている。

しかし、それでもやっていることは犯罪であるので、FBIの特別捜査官であるディラン・ローズ(マーク・ラファロ)と、ICPOのフランス人捜査官であるアルマ・ドレイ(メラニー・ロラン)に追われる身となる。

そして、ディランとアルマに協力することになるのが、前述のサディアス・ブラッドリーである。

彼は、自身マジシャンでありながら、同業者のマジックのトリックを暴くことで有名になった人物である。


「グランド・イリュージョン」は、構成、テンポともに小気味よく、観客を飽きさせることなく物語は進む。

マジックは、観客の裏をかくこと=ミスディレクションが重要になってくるが、「グランド・イリュージョン」では、マジックのトリックのみならず、ストーリー面でも我々観客の裏をかいてくる


最後には、なるほどそういうことだったのかという、大どんでん返しまで用意されていて、ただただ感心させられた。


さて、「グランド・イリュージョン」を観終わって、僕が最初に思ったのは、
なるほど、これは「オーシャンズ11」の系譜だな、
ということ。

2001年にスティーブン・ソダーバーグが監督した「オーシャンズ11」は、ハリウッドで映画関係者から、ある点が注目された。

それは、

犯罪をテーマにしたクライム映画であるにもかかわらず、人が死なないこと。


それまでのハリウッド映画では、人が大勢死ぬのは当たり前。

クライム映画ともなれば、その見せ場は銃撃戦で、主人公が敵を銃でバッタバッタと倒していくシーンがカタルシスを生んでいたわけである。

そういった暴力表現を使わずに、スリリングなストーリーを展開した「オーシャンズ11」は、その後のハリウッド映画に多大な影響をもたらしたのだ。

「グランド・イリュージョン」も同様に、スリリングな素晴らしい展開であるものの、凄惨な殺し合いのシーンなどは一切使われていない。

これが、今日のスマートなクライム映画であり、敵味方問わず、単純にキャラクターを死なせることで物語を盛り上げる手法は、今や過去のものと言えるかもしれない。


グランド・イリュージョン感想用イラスト


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映画「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」感想(ネタバレあり)

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■今後のアベンジャーズを楽しむうえで外せない1本


●映画「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(Captain America: Civil War) 」とは

2016年公開の、「アベンジャーズ」を中心とした「マーベル・シネマティック・ユニバース」のクロスオーバー作品である。

「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」から1年後のストーリーになっている。


●映画「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」序盤のあらすじ

「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」から1年。

ヒドラの残党のテロ計画を阻止すべく、アベンジャーズが出撃。

しかし、その作戦の最中、新たにアベンジャーズの一員となった、スカーレット・ウィッチ(ワンダ)の行動により、一般市民に犠牲者が出てしまう。

これが原因で、アベンジャーズは国際社会から批判を浴びることになり、アベンジャーズを国際連合の管理下に置く「ソコヴィア協定」制定に向けて各国が動き始める。

そして、「ソコヴィア協定」に賛同するメンバーと、賛同しないメンバーで、アベンジャーズは二分することになる…。


●感想

(注:基本的に以下の感想は結末のネタバレなしの方向で書いています。ただ、そこに至る過程を本作の重要なポイントとして触れたので、今回はネタバレありとしました。)

本作「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、「アベンジャーズ」を中心とした「マーベル・シネマティック・ユニバース」のクロスオーバー作品である。

クロスオーバー作品の「キャプテン・アメリカ」シリーズとしては3作目にあたるこの作品であるが、実際のところは「アベンジャーズ/シビル・ウォー」というタイトルにしても違和感のない重要なエピソードになっている。


ではなぜ「アベンジャーズ」のタイトルではないかと言えば、本作「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」には、アベンジャーズのメンバーであるハルクとマイティ・ソーが登場しないからだ。

ではなぜ、ハルクとマイティ・ソーが登場しないかと言えば、それはこの作品の内容がそれを許さないからである。

前述のとおり、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、意見の対立によって2つに割れたアベンジャーズメンバーの内紛「シビル・ウォー」を描く。

アベンジャーズメンバーの中でも、本物の神であるマイティ・ソーと、彼に匹敵する力を持つ怪物ハルクだけは他のメンバーに比べて戦闘力が桁違いに強い。

つまり、この2人が「シビル・ウォー」の中に存在し、もしも片方の陣営に偏ることがあると、パワーバランスが崩れるために、そもそもストーリーが成り立たないのだ。

設定面から理詰めで考えると理由は明白だが、逆に言えば、「マーベル・シネマティック・ユニバース」は、もはやストーリーによってキャラクターの出番を調整し、映画のパッケージを自由に調整して公開できるレベルに到達していると言える。

さらに「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」では、ハルクとマイティ・ソーこそ登場しないものの、これまでアベンジャーズシリーズには登場しなかったヒーローたちが続々と参戦しており、そういった意味での楽しさはむしろ増している。

このあたりは本当に巧いと思う。


ストーリーは、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」から1年後。

アベンジャーズが、活動中に一般市民に犠牲者を出したことをきっかけに、「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」のソコヴィアの闘いを含めて国際社会から非難を浴びることになる。

「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」感想で書いた、「これだけの大風呂敷になると、当然いろいろと突っ込みどころもある」という部分がまさにそこにあたるのだが、一般市民を全員助けたかのように描いているソコヴィアの闘いでも当然のように犠牲者が出ていたということだ。

そこで、アベンジャーズを、国際連合の管理下に置くことを規定する「ソコヴィア協定」が提案され、この規定に対して賛成/反対の立場をとるヒーローでアベンジャーズが2分されることになる。

その筆頭が、今回のタイトルホルダーである「キャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース」と「アイアンマンことトニー・スターク」である。

意外だったのが、ルールを順守しそうなキャラクターであるキャプテン・アメリカが、ソコヴィア協定に対して反対の立場で、アイアンマンが賛成の立場であったこと。

しかし、よくよく考えれば、なるほどキャプテン・「アメリカ」だもんな、と納得。

個人的には、映画に対して何でもかんでも政治的な解釈を入れるのはどうかと思っているのだが、本作「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」においては、そういう内容なので仕方ない。

しかも、ヒーローものは、こういった政治的な内容に対して、話し合いや政治的駆け引きで解決できないというジレンマを抱えているので、終始モヤモヤとした気分になる。

ここは、単純に「オマエどっち派?オレ、キャプテン・アメリカ派」などと脳天気に楽しむべきなのかもしれない。

まぁ、大人がこの映画を観て、そういった感想しか出てこないのであれば、それはそれでどうかとも思うが(笑)


そういったわけで、アベンジャーズが意見の対立によって二分されるというアイデアは買うものの、ストーリーとしてはそこまで面白くないというのが本音である。

しかし、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、今後のアベンジャーズを楽しむうえで外せない重要な作品になっている。

というのも、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」の真価が発揮されるのは、むしろラストのシークエンスであると言って良い。

アベンジャーズの対立から、ラストのソコヴィアに向かって話が進むのだが、ここで僕は「またこのパターンのエンディングか」と思ったのだ。

そのパターンとは、ここまで対立しているキャプテン・アメリカとアイアンマンだが、そこにさらに強いラスボスが現れ、そいつを協力して倒すことによって友情が回復。

意見の対立は有耶無耶になり、アベンジャーズは再びチームとして結束し、次回に続く、というパターンである。

これが、これまでの定石と言える安易なパターンだと思うのだが、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、その定石を外してくるのだ。

定石を外して意外なエンディングを迎えることによって、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、アベンジャーズにおいて重要な作品になっている。

その結末については、是非自分で確認していただきたい。

もっとも、ラストがこの終わり方でなく、安易な定石通りに終わった場合、本作は単なる駄作に堕したと思う。

おそらく、この意外なエンディングのアイデアがあって「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」を作ったのではないか。

そういった意味で、「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」は、「マーベル・シネマティック・ユニバース」の中でも最も野心的な作品になっている。


シビル・ウォー感想用イラスト

"我がいない間に何をしているのだ!戻りづらい!"


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映画「X-MEN:アポカリプス」感想 (ネタバレなし)

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■新3部作完結編にして第1作目に繋がる物語


●映画「X-MEN:アポカリプス(X-Men: Apocalypse)」とは

「X-MEN:ファースト・ジェネレーション(X-Men : First Class)」「X-MEN:フューチャー&パスト(X-Men : Days of Future Past)」に続く、新3部作の3作目にして完結編。

監督は、「X-メン(X-Men)」「X-MEN2(X2)」「X-MEN:フューチャー&パスト(X-Men : Days of Future Past)」のブライアン・シンガーが務める。


●映画「X-MEN:アポカリプス」序盤のあらすじ

古代エジプト。ミュータントであるエン・サバー・ヌールは神として君臨し、自らの魂を他のミュータントに移すことにより生きながらえてきた。

今まさに魂を移す儀式を行おうとした時、反乱者たちの妨害に遭う。

ミュータントの従者が彼を守ろうとするが、エン・サバー・ヌールはそのまま生き埋めになり、長い眠りにつくことになった…。


●感想

(注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。)

本作「X-MEN:アポカリプス」は、前作「X-MEN:フューチャー&パスト」のエンドロール後の映像にて、その存在が予告されていた。

「X-MEN:フューチャー&パスト」公開時から、ネットでは「次はアポカリプスだ!」という情報が飛び交い、早くも次回作への期待が高まっていた。

前作から2年という、映画では比較的早い間隔での公開となった本作を、僕も心待ちにしていたわけである。


今回の敵として立ち塞がるのは、前作のエンドロール後の予告映像で登場していたアポカリプス。

X-MENたちミュータントと呼ばれる能力者の存在が広く知れ渡るようになったのは、1970年代以降である。

しかし、それ以前にミュータントは存在していなかったのか?

実は、ミュータントは太古の昔から存在し、過去には神として君臨していた。

それが、アポカリプスことエン・サバー・ヌールである。

なるほど、と思わせる巧い設定であると思う。

当然ながら、強力な能力を持ち、黙示録の四騎士(フォー・ホースメン)を従えて、世界の破壊と再構築を目論む。


さて、現在、様々なスーパーヒーローものの映画が乱立している状態である。

しかし、スーパーヒーローを現実的に考察すると、ある問題に直面する。

それを、便宜的に、

「スーパーヒーロー問題」

と呼んでみる。

スーパーヒーローは、世界の平和を守ってくれる頼もしい存在である。

しかし、もともと世界には公(おおやけ)の国連や警察という機関が存在している。

では、スーパーヒーローは、一体、誰の許可を得て、何の権限を持って、世界の平和を勝手に守っているのか?

これが「スーパーヒーロー問題」だ。

たとえ、スーパーヒーローが正しいと判断していても、それは果たして皆が支持するに値するものなのか?

それは、そのスーパーヒーローの偏った判断ではないのか?


奇しくも、今年公開された「バットマン vs スーパーマン」「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」でも、この問題がストーリーの根幹を成している。

また、これまでも「アンブレイカブル」「ミスター・インクレディブル」など、スーパーヒーロー問題をテーマに扱った作品は少なくない。

なぜかといえば、スーパーヒーローという虚構の存在であっても、「もしもスーパーヒーローが実在したら?」という説得力のある話を考えれば、必ずこの壁にぶち当たらざるを得ないからだ。


しかし、そうは言っても、観客である我々からすれば、このスーパーヒーロー問題は繰り返されすぎて、もはや食傷気味。

またか、とテンションが下がってしまうのも事実である。


X-MENの秀逸なところは、ミュータントというマイノリティ(社会的少数者)と、普通の人間というマジョリティ(社会的多数者)の対立が、そのまま設定の根幹を成しているところ。

つまり、スーパーヒーロー問題がそのまま設定の中心になっているため、改めて議論する必要がない。

人類とミュータントの共存を模索するプロフェッサーXとX-MEN、そして、それに対立する敵という構図が基本設定であり、その時によってキャラクターの所属も違うわけである。

そう、X-MENはスタート時点から常にシビルウォー状態なのだ。

今回の「X-MEN:アポカリプス」は時間軸を考えると、「X-MEN:フューチャー&パスト」と第1作の「X-メン」の間に位置する。

このキャラクターが、ここでこういう風に関わってくるのかという驚きがあり、非常に面白い。


しかし、残念ながら本作「X-MEN:アポカリプス」は、「X-メン」の前日譚であるために、最終的にどうなるかということは予想できてしまう。

たとえば、スター・ウォーズEP1〜EP3で、ストーリーがどう転んでもアナキンがダース・ベイダーになることが予想できてしまうのと同じである。

これが前日譚の弱点であり、僕が基本的に前日譚が好きでない理由でもある。

そのため、この間に何があったのかという、ミッシング・リンクがどう繋がるのかという楽しみ方に頭を切り替えるしかない。


「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」から始まる新3部作は、2作目である前作「X-MEN:フューチャー&パスト」が、とにかく素晴らしい出来だった。

そのため、それらを締めくくり、なおかつ第1作の「X-メン」に繋げる完結編という立ち位置である本作「X-MEN:アポカリプス」を、前作と比べるのは少々酷であると思う。

映画の3作目の難しさは、監督自ら自虐ネタとして盛り込んでいる通りである(笑)


しかし、それでも相変わらず高いレベルでまとまっていて面白いし、映像面でも前作に劣らない素晴らしいシーンが用意されている。

相変わらずクイックシルバーが最高(笑)

そして、アポカリプスという、神として君臨していた最強の敵に対しての結末も、なるほど、やはりそうなのかという、非常に納得できる結末になっているのは、さすがとしか言いようがない。


さて、そんなX-MENシリーズであるが、前述の通り、新3部作は、本作「X-MEN:アポカリプス」にて完結。

前作では、エンドロール後に、次回作である本作の存在が示唆されていたわけだが、今回の予告映像は観てのお楽しみ。

次回作は、2017年公開予定の、スピンオフ作品であるウルヴァリン第3弾となる。

さらに2018年には、これまたスピンオフ作品のガンビット(原題)の公開も予定されている。


アポカリプス_感想イラスト

"今回のイチオシ(笑)"


● 関連記事:映画「X-MEN:アポカリプス」感想
● 関連記事:映画「X-MEN:フューチャー&パスト」感想




 


映画「ズートピア」感想(ネタバレなし)

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■完成度の高さの裏側にあるもの


●映画「ズートピア(Zootopia) 」とは

ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオによる2016年の3DCG映画。

監督はバイロン・ハワードとリッチ・ムーア。

製作総指揮はジョン・ラセターである。


●映画「ズートピア」序盤のあらすじ

動物が進化し、肉食動物と草食動物が共存するようになった現在。

ウサギのジュディ・ホップスは、幼い頃からの夢を叶え、ズートピアで小型動物として初の警察官になる。

その頃、ズートピアでは、肉食動物の連続行方不明事件が起きていた。

夢を胸にズートピアにやってきたものの、小型動物のジュディは連続行方不明事件の捜査には参加させてもらえない。

そんな時、ジュディはひょんなことからキツネの詐欺師、ニックと知り合うことになる…。


●感想

(注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。)

「動物たちの“楽園”を描く、ディズニー・アニメーション最新作! 」

その「ズートピア」の予告編を観た時は、数ある子供向けディズニー映画の1本かな、くらいの印象を受けた。

しかし、いざ映画本編を観終わると…。

うーん。

唸った。

完璧である。

僕はブログには公開していないものの、個人的に観た作品には点数を付けていて、「ズートピア」は、今年観た映画の中では最高点をマークしている。

今回、僕が行った劇場では、日本語吹替版のみが公開されていた。

個人的には字幕版を観たいところだが、ターゲットを考えれば当然のことだろう。

最初に驚いたのが、映像中の英語で表記されているであろう文字が日本語表記になっていたこと。

単に台詞を日本語に吹き替えるのみならず、素材である映像までローカライズしたものを準備してくるのか…。

しかし、原稿執筆の時点で調べてみると、どうやら、この程度のローカライズはディズニー映画では当たり前らしい。

その丁寧な仕事ぶりに驚かされる。

そして、CGの物量もすごい。

シーンが変わるたび、一体どれだけのモデリング(※)が必要なんだとクラクラしてしまう。

とにかく全編に渡って丁寧に作られていて、クオリティが高い。

この高い完成度はいかにして生まれたのか…。


時代によって浮き沈みはあるものの、そもそもディズニー・アニメーションのクオリティは高かった。

1992年にアニメーション作品でありながら初めてアカデミー賞にノミネートされたことで話題になった「美女と野獣」など、クオリティの高い作品は多い。

しかし、そのディズニーが2004年に手描きのアニメーションからの撤退を発表し、世界を驚かせた。

のちに撤回されるものの、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオが、その制作方法の主軸を手描きスタイルから3DCGに移行するというニュースは衝撃的であった。

僕がこのニュースに驚いたのは、もう一つ理由がある。

それは、

「ピクサーと競合するじゃないか!」


ピクサー・アニメーション・スタジオについては今更説明する必要もないだろう。

その作品が、そのまま3DCGアニメーションの歴史と言える世界でもっとも有名な製作会社である。

ピクサーはウォルト・ディズニー・ピクチャーズとの関係が深く、ディズニーの3DCG映画はピクサーが担っているという印象があった。

そのため、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオとピクサーが、ともに3DCGによるアニメーション制作を選択し競合することは、あまり良いニュースには思えなかった。

しかし、2006年に驚くべき事態が起きる。

ウォルト・ディズニー・カンパニーがピクサーを買収。

そして何と、ピクサーを代表する「トイ・ストーリー」「カーズ」の名監督、ジョン・ラセターがピクサー・アニメーション・スタジオとウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ両方のチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任するのだ。

これにより、ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオの3DCGアニメーションのクオリティが底上げされることが予想できた。

昨年、NHKで放送された「魔法の映画はこうして生まれる/ジョン・ラセターとディズニー・アニメーション 」をご覧になった方も多いだろう。


魔法の映画はこうして生まれる/ジョン・ラセターとディズニー・アニメーション [DVD]

そこには、まさに予想した以上の仕事が行われていた。

そして現在、ラセターのノウハウが浸透した結果が、このクオリティということである。

そのクオリティの高さは、何も映像面に限ったことではない。

映像面で驚いていたのは最初のうちだけ。

僕は、すぐに「ズートピア」のストーリーに引き込まれた。

動物たちが暮らす夢の世界、という入り口ではあるものの、そこは決して夢の世界ではない。

警察官は身体の大きな動物の仕事である、ウサギは人参を作る、キツネはずる賢い…。

古くからの慣習で、種族によってやれることは自ずと決まっており、そこには厳しい格差と現実がある。

そんな世界にあって、ウサギの主人公ジュディは、厳しい訓練をパスし、小型の動物として初めての警察官になる。

しかし、実際には配属された日から、上司から冷遇を受ける。


本作「ズートピア」では、

「決してフェアではない世の中で、自分の出自にかかわらず、夢を信じて努力する」

というテーマが高らかに謳われる。


それを、子供でも理解できるストーリーに落とし込んでいるのだ。

ストーリー各所には、笑いあり涙あり。

そして、ターゲットの子供ではなく、大人にしか分からないような笑いネタまで盛り込まれている。


テーマ、ストーリー、キャラクター、映像、音楽、すべての要素が高い次元でまとまっていて、文句の付け所がない。

現在のディズニー&ピクサーは、チームによりディスカッションを行い、そのノウハウをチーム(スタジオ)が共有している。

これこそが、今日のディズニー&ピクサーの強みであると言えるだろう。


ズートピア_感想イラスト

"お前はフェネックだ"

"動物の種類から推理する"



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(※)モデリング:3Dデータを作成する作業のこと






 


映画「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」感想(ネタバレあり)

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■どうしてもスーパーマンをリブートしたかった理由とは


●映画「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生(Batman v Superman: Dawn of Justice) 」とは

ザック・スナイダー監督によるスーパーマンの実写化映画「マン・オブ・スティール(2013)」の続編である。スーパーマン役は前作に引き続きヘンリー・カヴィル。


●映画「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」序盤のあらすじ

少年時代のブルース・ウェインは、突然の凶行により両親を失うことになった。傷心の彼は、迷い込んだ洞窟の中でコウモリの飛ぶ姿に魅せられる。

その後、彼はバットマンとなり、長年ゴッサム・シティで戦って来た。

そして、スーパーマンとゾッドが戦い壊滅的な被害が発生している現場に居合わせていた…。


●感想

基本的に以下の感想は結末を含む部分などのネタバレなしの方向で書いています。

しかし、日本ではあまり馴染みのない「ジャスティス・リーグ」に関する記述を含むため、今回は(ネタバレあり)としました。


スーパーマン再生の動きは遅かった。

1989年、ティム・バートン監督による「バットマン」がヒットしたのち、「X-メン」「スパイダーマン」「アベンジャーズ」など、アメコミヒーローの実写化が1大ビジネスとなったにもかかわわらず。

そして「バットマン」は、以降7本の実写映画が作られ、リブートにより既に2周目も終わったというのにである。

理由は、そう、スーパーマンはデザインがダサいから。

赤と青の原色のスーツにマント、そして何より致命的なのは古めかしい髪型の頭部がむきだしなところであろう。

スーパーマンの始まりは1938年。

DCコミックス社からの漫画雑誌アクション・コミックスからスタートしている。

そのため、スーパーマンのデザインは、78年前のセンスであり、古臭いのは仕方ない。

しかし、アメコミヒーローが実写化されるにあたっては、たとえ元のデザインが古かろうと、実写で格好良く見えるようにアレンジされるのが当たり前。

ではあるのだが、スーパーマンにおいてはこれが難しい。

理由は、デザインのダサい部分が、そのままスーパーマンのデザインのアイデンティティであるからだ。

つまり、ダサい部分を修正すれば、それはすなわちスーパーマンに見えなくなるというジレンマを抱えているのだ。

それなら別に、無理してスーパーマンをリブートしなくても、他にヒーローはたくさんいるではないか。

そう考えるのが普通だろう。

しかし、それでも、どうしても、スーパーマンをリブートしたい事情があったのだ。

それが、「ジャスティス・リーグ」の存在である。

アメリカには二大コミック出版社が存在する。

それが前述の「DCコミックス」と「マーベル・コミックス」である。

マーベル・コミックスの「アベンジャーズ」は、マーベル・コミックスに登場する様々なヒーローが同じ世界に存在する設定で、映画化もされ、大ヒットを飛ばしているのはご存知の通り。

一方の、DCコミックスにおいても、実は同様のチームが存在する。

それが「ジャスティス・リーグ」である。

(ちなみに「ジャスティス・リーグ」の初出は1960年。「アベンジャーズ」の初出は1963年である。)

そして、ジャスティス・リーグの中心となるヒーローこそ、スーパーマンとバットマンなのだ。

2006年に、「X-MEN: ファイナル ディシジョン」の監督を蹴ってまで、ブライアン・シンガー監督が「スーパーマン リターンズ」を作るも、続編が作られるまでのヒットには至らなかった。

そして、2013年、バットマン・ダークナイト3部作のクリストファー・ノーランが制作、ザック・スナイダー監督が作り上げたのが、リブート・スーパーマン「マン・オブ・スティール」である。

前述したように、本作「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」は、「マン・オブ・スティール」の直接の続編にあたる。

「マン・オブ・スティール」にあたり、スーパーマンのデザインはそのアイデンティティを失わないギリギリのところまでアレンジされた。

明度を落とした色彩、スーツ表面のテクスチャーや細かいディテール、そして、現在の目ではまるで冗談にしか見えない赤いブーメランパンツ部分の廃止。

それでも、そこそこダサいデザインではあるのだが、まぁ何とか見れるレベルになったと言えた。


「マン・オブ・スティール」は、当然「ジャスティス・リーグ」の展開を視野に入れていた。

それは、本作「バットマン vs スーパーマン」の冒頭から、「マン・オブ・スティール」の最後の闘いをブルース・ウェイン=バットマン視点のカットで用意していることで明らか。

何といっても、前回は主役であったスーパーマンが、「バットマン vs スーパーマン」では冒頭から人々から非難の的として登場するという入り口が衝撃的。

そもそも「マン・オブ・スティール」の最後の闘いでは、観客はスーパーマンとゾッドの闘いの行方よりも気になっていた部分があるはずだ。

「いや、もっと一般人のいない荒野とかに行って闘えよ…」

正義だの地球を守るだの大義名分はおいといて、周囲の損害を考えない超人同士の闘いはもはやテロ。

その部分をそのままストーリーの主軸に据えているわけである。

この辺はさすがに巧い。

そして、冒頭のブルース・ウェイン少年時代の描写から、バットマンは3周目に突入したことが分かる。

新たにバットマン役として起用されたのはベン・アフレック。

すでにバットマンとして長年ゴッサム・シティを守ってきたという設定から、いぶし銀のバットマン像になっている。

また、ダークナイト3部作から、ゲーム版アーカム・ナイトを経て、デザインが一新されたバットモービルやバットウイングもカッコイイ。




そして、バットマン自体もデザインが一新された。


さらにスーパーマンに対抗するべく「アーマード・バットマン」が登場する。


もっさりとしたデザインではあるが、これは仕方ないだろう。

スーパーマンはクリプトン星出身の異星人であり、そのパワーは地球人とは比較にならない。

身体能力はものすごいし、空を飛べば大音響とベイパーコーンが発生。音速を超えていることが分かる。

対するバットマンは強いと言っても生身の人間である。

ゴッサム・シティを中心としたバットマンワールドにおいて、そもそもバットマンも敵の怪人も、全てコスプレをした生身の人間。

ちょっと頭のおかしいコスプレした犯罪者を、大富豪のバットマンが趣味で懲らしめているというのが基本プロットだ。

スーパーマンのワンパンチでバットマン即死というのが実際の差である。

というわけで、何とかスーパーマンに対抗するべくデザインされたのがアーマード・バットマンであろう。

もっとも、それでもその実力差はいかんともしがたいと思うが…。

この差がありながら、スーパーマンとバットマンがいかに対峙するのか。

そこは実際に観て確かめて欲しい部分である。

今回の「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」は、「マン・オブ・スティール」の続編ではあるものの、「ジャスティス・リーグ」の1作目であり、3周めに入った新バットマンのキャラクター構築のため、序盤のストーリー展開は遅い。

しかも、そこまで複雑なストーリーではないのに、夢オチや不必要な描写を加えて、どうにも話がもたついている印象を受ける。

しかし、そこから後半にかけて、一気にストーリーが加速していく感覚がカタルシスを生んでいる。

これはおそらく怪我の功名であると思う。

もし、これが狙いなら逆にスゴイ(笑)

そして、ネタバレなのであえて書かないが、とにかく●●●●●●●●が音楽含めてカッコイイ!(笑)

というわけで、観終わったあとにはスッキリ気分の「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」、アベンジャーズを中心としたマーベル・ユニバースとの差を比較してみるのも面白いだろう。

「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」は、既に続編の制作が決定し、また、次回作に向けての伏線も本編に含まれている。

しかし、エンドロール後の予告的なカットとか、そういったファンサービスは用意されていなかった。

この辺はまだマーベルが一枚上手か。


BatmanvSuperman_イラスト

"スターク・インダストリーズですか?"
"アイアンマンをカスタマイズしてオーダーお願いします"
"色は黒 耳を付けて 蝙蝠の耳です"



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