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映画「GODZILLA ゴジラ」感想(ネタバレなし)

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正統的怪獣ディザスター、何よりゴジラ映画として完璧

映画「GODZILLA ゴジラ」(原題:GODZILLA)の字幕版を劇場で観てきました!

作業などで観るのが先延ばしになっていたので、ようやく観れた感じです。

お盆をはさみ、遅くなりましたが、レビューです。

注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。


●映画「GODZILLA ゴジラ」とは

ご存知日本を代表する怪獣のゴジラをアメリカで映画化したものである。

ハリウッド版ゴジラというと、どうしても避けて通れないのが、ローランド・エメリッヒ監督による「GODZILLA(1998)」であるが、本作「ゴジラ GODZILLA(2014)」はそちらとは関係ない。


●序盤のあらすじ

芹沢猪四郎博士は、「何か」を追っていた。フィリピンの炭鉱下にぽっかりと空いた穴からはその存在を伺わせる痕跡があった。

一方、富士山の見える日本の都市、ジャンジラにて原発事故が発生。そこに勤務するジョー・ブロディはその事故で最愛の妻を亡くしてしまう。

その事故から15年後。フォード・ブロディ大尉は、事故以来疎遠になっていた父のジョー・ブロディが日本にて警察に拘束されたとの報せをアメリカで受ける。

ジョー・ブロディはジャンジラ原発事故の裏にある真相をずっと追い続けていたのだ…。


●感想

以前「オール・ユー・ニード・イズ・キル」の感想にて、鉱脈は日本にもあったのだと書いたばかりだが、今回は「ゴジラ」である。

ハリウッドによるリメイクだが、今回は「ガッジーラ」ではない。「ゴジラ」(by渡辺謙)だ。

GODZILLA(1998)が、わりとトンデモな作品であったのを踏まえて、同じ轍を踏むことを避け、日本のファンにも納得できる作品に仕上げている。

ギャレス・エドワーズ監督は非常に良い仕事をしたと思う。


ゴジラの第1作目(1954年版)に登場した芹沢大助博士をイメージした芹沢猪四郎博士に渡辺謙をキャスティングしていることで、日本人の目から観て安心感がある。

渡辺謙や真田広之がハリウッドに進出してくれたおかげで、片言の日本語を喋る俳優が日本人役で登場するガッカリ展開がなくなったのは有難い限りだ。

その芹沢博士を始め、主要人物が有効に機能している脚本が上手い。

特に予告編では上手く隠している部分など、そう来たかと思わせる部分がある。

日本人の目から観ると、日本パートの描写に疑問が残るが、そこに提示されるのは「JANJIRA,JAPAN」という架空の都市である。

震災を経て実際に原発事故を抱える日本の現状を考えれば、この描写で良いのだと思う。

怪獣ディザスターにプロパガンダや必要以上に深淵なメッセージを求めても仕方ない。

だいたい本家ゴジラシリーズにも怪しいストーリーの作品はいくつもある。

上映時間は123分であり、冗長な部分もなくストーリーが展開するので気持ち良い。


さて、ゴジラで避けて通れないのが、ゴジラ自体のデザインだ。

そもそも日本におけるゴジラマニアというのは、各作品毎に微妙に違うゴジラのデザインの違いを愛でるものなのだ。

たとえば「モスラ対ゴジラ」に登場するゴジラを「モスゴジ」、「キングコング対ゴジラ」に登場するゴジラを「キンゴジ」などと呼称し、そのデザイン毎にファンがいるという奥深い世界なのである。

ローランド・エメリッヒ監督によるGODZILLA(1998)に登場するGODZILLAは、クリーチャーのデザインとしては悪くないものの、ゴジラのデザインとしてはいささか乱暴であることは否めない。

それに対して本作に登場するゴジラは、予告編でデブじゃないかという批判もあったものの、文句なしにゴジラのデザインとして素晴らしい出来だ。

実際に映画を観ると分かるが、デブではなくマッチョなのだ。

今回のゴジラは身長が108メートルと、これまでのゴジラの中でも群を抜いて巨大である。

その巨体を支えるデザインのさじ加減でマッチョであるのだろうし、誰が観てもゴジラだなという造形に仕上がっていると思う。

また、その咆哮も往年のゴジラのそれであり、個人的には文句の付け所がない。

むしろゴジラのデザインとしては上位に位置する造形だと思う。

睨みが効いた顔のデザインも含めて非常にカッコイイ。


僕は、特撮の表現として、生物の中にクリスマスツリーのように規則的に明滅する電飾が入れられているのが、個人的には嫌いである。

一気に作り物感が増してしまうからだ。

実際に自然界にはカブトクラゲのように規則的に明滅する生物がいるのは知っている。

しかし、それも今日の技術力であれば電飾で表現するのがベストとは思わない。

今回、ある部分で、電飾のような表現が登場したので、おや?と思った。

なぜ今さら電飾?

しかし、これに関してはおそらく意図的にやっているのだと思われる。

なぜなら、別の部分では、素晴らしい表現がなされているし、ハリウッドの技術で、今さら電飾のようなローテクな処理をする必要がないからだ。

そう考えると、この電飾のような表現は、日本の怪獣特撮の様式美ととらえて、あえて再現しているのだろう。

このローテクな感じを、あえて再現しているのであれば、もはや完敗と言うしかない。

日本の怪獣特撮を細部に渡るまで研究し、それをリスペクトした上で昇華しているということだからだ。


今回の「ゴジラ GODZILLA」は怪獣ディザスター、そして何よりゴジラ映画として完璧と言える仕上がりだと思う。

日本人としては、日本のお家芸である柔道で、日本人以外の選手がメダルを取ったような複雑な気持ちがあるものの、この素晴らしいゴジラに対して素直に拍手を送りたい。


映画「GODZILLA ゴジラ」感想

"まさしくゴジラ"






 


怪物の名は━

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今日から、映画「GODZILLA ゴジラ」公開。

予告編(公式サイト)を観て、期待が高まる。

しかし現在「僕の大震災」制作スパート中なので、観るのはもうちょっと先かな。

怪物の名は 1

怪物の名は 2

#01: "In 1996, we awakened something"

#02: "We Called him"

#03: "PIKACHU"

#04: "PIKACHU's roar"


※日本を代表するモンスターだがそっちじゃない







 


映画「マレフィセント」感想(ネタバレなし)

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真「眠れる森の美女」

映画「マレフィセント」(原題:Maleficent)の字幕版を劇場で観てきました!

けっこうお客さん入ってた。

というわけで、早速のレビューです。

注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。


●「マレフィセント」とは

ディズニーのアニメーション映画「眠れる森の美女」で、オーロラ姫に呪いをかけた魔女、マレフィセント。

そのマレフィセントを主人公に、眠れる森の美女を別の視点から描いたディズニーの実写作品である。

アニメーション映画「眠れる森の美女」に対するアンサー作品ともいえる。


●序盤のあらすじ

かつて世界には人間の国と妖精の国が隣り合わせで共存していた。

妖精の国で暮らしていた若き日の妖精マレフィセントは、ステファン少年と出会い恋に落ちる。

しかし2人は成長するにつれて疎遠になっていった。

その頃、人間の国のヘンリー王は、妖精の国に侵攻を開始する…。


●感想

「眠れる森の美女」をマレフィセントの視点から描いた本作「マレフィセント」は、オーロラ姫が生まれる遥か昔から物語がスタートする。

「眠れる森の美女」において、生まれたばかりのオーロラ姫は「16歳の誕生日の日没までに糸車の針で指を刺して死ぬ」という呪いをかけられる。

しかし、そもそもなぜ呪いをかけられるに至ったのか?

その辺りをマレフィセントを主人公にすることによって描いている。

また、マレフィセントが主人公になることによって前述の呪いの内容など、細部に若干の変更が見られる。


本来悪役であったはずのマレフィセントを主人公に変更することによって、新しい視点の物語を作り出している本作「マレフィセント」

その物語におけるアイデアは「ひっくり返す」ことである。

なぜこういった発想が必要なのかといえば、そもそも物語の類型は多くないからだ。

物語の類型はシェイクスピアによって分類され、そのアイデアは既に出尽くしているという説もある。

「ひっくり返す」「裏返す」はアイデア発想の基本だ。

例えば「ローマの休日」と「プリティ・ウーマン」は同じアイデアの裏返し。

恋に落ちる男女のどちらのステイタスが高いかという部分を裏返している作品である。

本作はマレフィセントを主人公にすることによって、呪いをかけた側にもそれなりに理由があったのだという物語になり、そこに新しい発想、深み、感動、を生み出している。

あ!そこ変えてきたか、なるほど!という部分もある。


本来は優しい妖精であったが、ダークサイドに堕ち、そして…というマレフィセントをアンジェリーナ・ジョリーが魅力的に演じている。

また、マレフィセントの心の変遷の鍵を握るオーロラ姫をエル・ファニングが演じており、こちらも説得力のある良いキャスティングだなと感心させられた。


全編がファンタジーなので見落としがちだが、VFXはデジタル・ドメインをはじめ実力のあるプロダクションが担当しておりそのクオリティは文句なしに素晴らしい。

マレフィセントの魔法によって眠らされ宙に漂うオーロラ姫の描写とか、なるほどなと感心することしきり。

また、ふんだんに登場するクリーチャーのデザインやクオリティも素晴らしいと思う。


映画「マレフィセント」は「眠れる森の美女」を再構成した作品であり、その舞台は昔話のファンタジーである。

しかし、悪役であった「マレフィセント」を主人公に据え、物語の視点をひっくり返してみせることで、現代的なテーマをも感じさせる作品となっている。

もっとも、そういった部分を前面に押し出している作品ではないので、深読みしなければ単純なエンターテインメント作品としてしか認識できないだろう。

そういった意味では、「アナと雪の女王」のあと、親子で楽しむ作品といったポジションか。

(しかし実写なので対象年齢がイマイチ分からないのだが)


映画「マレフィセント」感想

"眼力(メヂカラ)がスゴイ"






 


映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」感想(ネタバレなし)

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時をかける戦士

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」(原題:Edge of Tomorrow)の字幕版を劇場で観てきました!

予告編から楽しみにしていただけあって非常に満足しました。

というわけで、早速のレビューです。

注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。


●「オール・ユー・ニード・イズ・キル」とは

日本のライトノベル、桜坂洋「All You Need Is Kill」を原作とした、ダグ・リーマン監督、トム・クルーズ主演のハリウッド映画である。

All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)

日本の小説がいきなりハリウッドで映画化されるということは異例のこと。

また「All You Need Is Kill」は小畑健の作画によって漫画化もされている。

All You Need Is Kill 1 (ジャンプコミックス)

僕は原作もマンガ版も未読であるので、原作と映画の違いが分からない状態で劇場に向かった。


●序盤のあらすじ

宇宙からの謎の侵略者「ギタイ」の襲撃により壊滅状態に陥った近未来の地球。

主人公のケイジ(トム・クルーズ)は戦場で死んだ次の瞬間、戦場に赴く前の時間に戻っていた…。

同じ日を何度も繰り返すうちに、ケイジは戦場の英雄リタ・ヴラタスキ(エミリー・ブラント)と出会う。

彼女は死ぬ寸前に「目覚めたら私を探して」と言い残すのだった…。


●感想

予告編や序盤のあらすじから分かる通り、本作「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は物語の類型的には「ループもの」に分類される。

「ループもの」とは主人公が同じ時間を何度もを繰り返すストーリーである。

特異な設定ではあるものの「ループもの」は人気ジャンルであり、その設定の物語は非常に多い(※1)。

裏を返せば、いろいろなアイデアが出尽くしていて新しい挑戦が難しいジャンルと言える。


本作「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は広報を担当していた実戦経験ゼロの主人公ウィリアム・ケイジ少佐(トム・クルーズ)が、何故かあれよあれよという間に戦場の最前線に送られるところからスタートする。

正直、ケイジが最前線に送られるのが本作最大の謎だが(笑)、そこは掘っても何も出てこないのでスルーして先に進む。

ポイントはケイジは兵士としてのスキルはゼロであるということ。

謎の侵略者「ギタイ」に対抗するべく開発された「起動スーツ」の武器のセーフティロック解除の方法も分からない有り様で戦場に送り込まれるのだ。


「オール・ユー・ニード・イズ・キル」が巧いのは、タイムループのアイデアの核となる部分が、きちんと設定の中に織り込まれていること。

この設定が、ケイジとリタの関係に活きてくるのだ。


起動スーツを着た兵士と「ギタイ」との戦闘シーンも迫力があり、見応えがある。

「ギタイ」は既に地球を壊滅寸前に追い込んでいるほどの戦闘能力であり、それがビジュアルで納得できる恐ろしい動きになっている。


タイムループの設定のために、我々観客も何度も同じ場面を目にすることになるが、その繰り返しの描写、緩急の付け方が巧く飽きさせない。

さらに、そこに仕掛けを入れてくるのに感心させられた。


僕が「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観始めて思ったのが、「なるほど、これはテレビゲームがアイデアの元になっているのか」ということ。

特定のテレビゲームではなく「テレビゲームをプレイすること」が発想の原点だろう。

主人公ケイジは、死というリセットを使い、選択肢を総当りで試すことによって、同じ日を何周もしながら、真のエンディングにたどり着こうとしているのだ。

これはまさしくテレビゲームをプレイしているプレイヤーの視点だ。

最初は実戦経験ゼロのへなちょこ兵士だったケイジが、同じ日を繰り返すことによって超人的な攻撃を繰り出すさまは、昔プレイしたアクションゲームやシューティングゲーム、いわゆる「覚えゲー(※2)」を彷彿させる。

ここまで来るの大変だったろうな、ケイジ。

僕も昔はゲームやり込んだな(遠い目)


ここまで来ると、気になるのはやはり物語の着地点をどう設定しているのかということだ。

そこは是非、自分の目で確かめていただきたい。


「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は、原作が日本人によるもののためか、我々の感性と親和性が高い作品になっていると思う。

また、そのアイデアをハリウッドの最高水準レベルで映像化されているのが嬉しい限りだ。

「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観ると、今後、このような形の作品は増えてくるんじゃないかと思える。

鉱脈は日本にもあったのだ。


映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」感想

"テレビゲームは苦行かも そんなことを考えた"

----------------------------------------

(※1)バック・トゥ・ザ・フューチャー、時をかける少女、未来の想い出、火の鳥・異形編、君といた未来のために、などなど。

(※2)覚えゲー:テレビゲーム攻略にパターンを覚えるという手順は欠かせないが、中でもその傾向が強いもの。






 


映画「X-MEN:フューチャー&パスト」感想(ネタバレなし)

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「今なお縦横無尽に拡がる世界観」

映画「X-MEN:フューチャー&パスト」(原題:X-Men:Days of Future Past)の字幕版を劇場で観てきました!

期待に違わぬ面白さ!

というわけで、早速のレビューです。

注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。

ただ、一切予備知識を入れない方が楽しいこともあるので、その点はご了承ください。

●X-MENシリーズとは

もはや説明不要だと思うが、マーベル・コミックの原作をベースに実写化したものである。

特殊能力を持ったミュータント=X-メンの活躍を描いている。

現在までのシリーズは、以下のようになっている。本作はシリーズ7作目にあたる。

  • 「X-メン(X-Men)」(2000年)
  • 「X-MEN2(X2)」(2003年)
  • 「X-MEN:ファイナル ディシジョン(X-Men : The Last Stand)」(2006年)
  • 「ウルヴァリン:X-MEN ZERO(X-Men Origins : Wolverine)」(2009年)
  • 「X-MEN:ファースト・ジェネレーション(X-Men : First Class)」(2011年)
  • 「ウルヴァリン:SAMURAI(The Wolverine)」(2013年)
  • 「X-MEN:フューチャー&パスト(X-Men : Days of Future Past)」(2014年)
  • ウルヴァリン2作はスピンオフ的な内容であり、本作「X-MEN:フューチャー&パスト」は「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の直接の続編と言える。

    今回は、何と言っても最初の2作の監督を担当したブライアン・シンガーが久しぶりにメガホンを取るのが注目すべきポイント。

    ●序盤のあらすじ

    荒廃した近未来、X-MENはセンチネルという対ミュータント兵器のロボットと死闘を繰り広げていた。

    戦いは明らかに劣勢で、プロフェッサーXたちは、最後の作戦として、ウルヴァリンの精神を1973年へ送り、過去を改変して、センチネル開発のきっかけを防ごうとする…。

    ●感想

    序盤のあらすじから分かるように、今回のストーリーはタイムトラベルものになっている。

    ストーリーは過去と未来が同時に進行しており、複雑なプロットで面白い。

    キャラクターは、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」にて登場したプロフェッサーXことチャールズ・エグゼビアの若き日の姿(ジェームズ・マカヴォイ)と、これまでのシリーズでおなじみの、現在から未来の姿(パトリック・スチュワート)が登場。

    同様にマグニートーも若き日の姿(マイケル・ファスベンダー)とおなじみの姿(イアン・マッケラン)のダブルキャスト。

    よく映画の続編において「前作を見ていなくても大丈夫」のような宣伝文句があるが、X-MENシリーズにおいては、これは無理。

    最初の「X-メン」は、プロフェッサーX率いるX-MENと、マグニートー率いるブラザーフッドの単純な戦いであった。

    しかし、その後の続編においてキャラクター同士の複雑な相関関係が掘り下げられ、さらには時間軸による設定も加わっているので、現在においては「一見さんお断り」状態と言える。

    本作「X-MEN:フューチャー&パスト」の過去パートの舞台は1973年。

    「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」の最終決戦の舞台はキューバ危機の1962年。

    その間に何があったのか?

    また、過去パートにおけるウルヴァリンの爪はアダマンチウムではなく、骨の爪。

    そして、ストライカーも登場しているなど、過去の作品からも縦横無尽に伏線が引っ張られている。

    以前に言及したが「続編とは縮小再生産に至る諸刃の剣」というのがこれまでのセオリーだったと思う。

    しかし、同じくマーベルの「アイアンマン」シリーズを観ていて思ったのだが、最近のトレンドはあえて逆の方法を採用しているようだ。

    それは「積極的に作品同士のクロスオーバーを作り出し、コアなファンを囲い込んで離さない」作戦だ。

    実際、アイアンマンを観ただけでは、ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン)が何者なのか分からない。

    同様に、本作「X-MEN:フューチャー&パスト」も、この作品だけでは、本当に面白さを理解したとは言えない作りになっている。

    しかし、これまでの作品を観ている人には、その繋がりが面白い要素になっていることは間違いない。

    実は僕の場合、「X-MEN:フューチャー&パスト」の公開が決定した段階では、「X-MEN:ファイナル ディシジョン」までしか観ていなかった。

    それで、「X-MEN:フューチャー&パスト」を劇場に観に行く前に、未見の3作を観て準備をしたわけである。

    そう、現在は、観ていないシリーズ作をレンタルなどで補完するという行為が非常に簡単になっている。

    加えてネットで検索すれば設定までバッチリ頭に入れることができる。

    もちろん、シリーズを続けて世界観を拡げていくのは、容易なことではない。

    X-MENは、そもそも膨大な原作があるうえに、作品がヒットしているからこそ、ここまで続いているのだろう。

    さて、映像面でも毎回楽しませてくれるX-MENシリーズだが、今回もすごい。

    特筆すべきは、クイック・シルバーのシーン。

    映像としてものすごいし、素晴らしくかっこいい!

    僕は今回は残念ながら3Dで鑑賞しなかったのだが、これが立体映像で動いてるのか!

    他にもかっこいいシーンがふんだんに用意されている。

    また、ストーリーも前述の通り、豊富な過去作を伏線に使い、非常に面白い。

    エンディングも、ここでシリーズを終わらせることも可能なくらいに感動的。

    しかし、そこで終わらないのがX-MEN(笑)

    エンドロール直前におや?と思わせ、さらにエンドロール後に次回作への予告カットを入れてくるなど、もはやX-MENシリーズでは定番となった演出。

    エンドロール中に帰って行く人がチラホラいるんだけど、X-MENでそれはダメだろう!

    というわけで、次回作があることは確実だなという状態で本作は終了。

    次回作に期待しつつ、十分に満足することが出来る作品に仕上がっている。

    僕のように、ちょっとシリーズから離れていたファンも、あらためて面白いなと認識させられることだろう。


    映画「X-MEN:フューチャー&パスト」感想

    "今回の一押しはクイックシルバー"


    実は、現時点ではX-MENの次回作は、ブライアン・シンガー監督のツイートなどにより、「X-MEN:アポカリプス(邦題未定)(X-MEN:Apocalypse)」であることが明らかになっている。

    本作「X-MEN:フューチャー&パスト」のブライアン・シンガー監督が続投し、2016年に公開予定だ。






     


    映画「LIFE!」感想(ネタバレなし)

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    ●美しい世界を見よう!

    映画「LIFE!」(原題:The Secret Life of Walter Mitty)の字幕版を劇場で観てきました!

    素晴らしい!

    というわけで、早速のレビューです。

    注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。


    主人公ウォルター(ベン・スティラー)は、41歳の平凡な男である。

    雑誌「LIFE」のネガフィルム管理部門で真面目に働いている。

    ウォルターは、同僚のシェリル(クリステン・ウィグ)に恋しているものの、直接話しかけることは出来ない。

    彼女がマッチングサイト「イーハーモニー」に登録していることを知り、自分も登録してみるが、いまだ彼女にウィンクを送れずにいたのであった。

    ある日、勇気を出して、ウィンクのボタンをクリックしてみるが、エラーのダイアログが出て、彼女にウィンクが送ることが出来ない。

    ウォルターは、イーハーモニーに電話をかけるが、担当者からは、もっと自分自身のプロフィールを充実させるようにアドバイスされる。

    しかし、ウォルターには特筆に値するような経験が何一つないのであった。

    そんなウォルターには、現実の平凡さから逃げるような空想癖があった。

    空想の中では、ウォルターはどんなことでも出来るヒーローになれるのだが、空想へのスイッチが入るのは突然で、その間は、周りの人間が話しかけても無反応になるほど。

    一方、ウォルターの働く会社には事業再編のためにテッド(アダム・スコット)がやって来て、「LIFE」のオンラインへの移行と、雑誌としての廃刊が告げられる。

    有名なカメラマンであり、冒険家のショーン(ショーン・ペン)は、ウォルターに「LIFE」の最終号のための写真のネガを送って来ていたが、指示されていた25番のネガが、どこを探しても見つからないのであった。

    ウォルターには、リストラの危機と、「LIFE」最終号の表紙を落とす危機が同時に迫っていた…。


    「LIFE!」は物語の類型的には「ボーイ・ミーツ・ガール」に分類される。少年が少女に出会い、恋に落ちることで話が進むのだ。(もちろんウォルターもシェリルも、ボーイでもガールでもないが…)

    今まで、空想の中でしか冒険をしたことのなかった男が、仕事のためとはいえ、現実の冒険に出るのは、この恋に背中を押されてのことだ。

    「LIFE!」のスローガン「世界を見よう。危険でも立ち向かおう。それが人生の目的だから」を誇りに思うウォルターが、そのスローガン通りに旅に出る時に、何が起こるのか。

    そして、25番のネガには何が写っているのか。


    映画としてのテクニカルな文脈から「LIFE!」を観ると、やはり印象的なのは、「パニック・ルーム」を彷彿させる冒頭の実写とタイポグラフィーの組み合わせ、それに続き、ひと目でカイル・クーパーのものと分かるオープニング・タイトル。

    カイル・クーパーのオープニング・タイトルが映像世界を席巻したきっかけが「セブン」である。

    そして「ソーシャル・ネットワーク」のサントラを聴き込んだ僕が、何か印象が似てるなと感じた音楽。

    (後で調べたら、実際には作曲者などに共通点はなかったのだけれども)

    極め付きが、ウォルターの空想による「ベンジャミン・バトン」のパロディ・シーン。

    そもそも、ネガとポジの関係ではあるものの、「LIFE!」の本質的なテーマ(豊かな物質社会に生きてはいるが、生きている感覚のロスト)というのは「ファイト・クラブ」のそれである。

    そう、そのどれもが、デヴィッド・フィンチャー監督作品へのオマージュになっているのだ。

    映画の中で、他作品へのオマージュは良く観られるものだし、また師匠と弟子で、映像が似たようなテイストになることも良くあることだ。

    しかし、1つの作品が1人の監督に対してここまで徹底的に寄せてくるというのは珍しいのではないか。

    ベン・スティラー監督の、デヴィッド・フィンチャー監督への並々ならぬリスペクトを感じる次第である。


    そういったレイヤー構造を持っていて、それを読み解くことが出来ると、また本作への面白さが倍増するのだが、「LIFE!」は、そういったことが分からなくても十分に素晴らしい映画になっている。


    ストーリーは素晴らしいし、25番のネガという謎のひっぱりとその答も素晴らしい。

    ベン・スティラーがコメディ畑出身ということもあり、随所に適度な笑いを入れてくるのも楽しい。

    また、ベン・スティラー本人含め、キャスティングも素晴らしい。

    映像は、空想から現実まで、またオープニング・タイトルからエンド・クレジットまで、そのどれもが見事だ。

    そして、それらを盛り上げる音楽も非常にエモーショナルで心打たれるものがある。

    さらには、そこに前述のテクニカルなレイヤー構造までもが加わり、非の打ち所がない仕上がりになっている。

    観終わったあとに、非常に気分が上がるので、最近お疲れ気味のアナタや、最初のデートなんかにもオススメです。


    「LIFE!」感想

    "主人公が僕と同い年"






     


    映画「ゼロ・グラビティ」感想(ネタバレなし)

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    ●映画が到達した最高峰の作品

    年末年始にかけてバタバタして、劇場で観ることを諦めかけていた「ゼロ・グラビティ(3D)」を観ることが出来た。

    素晴らしい体験だった。後半は涙が止まらなかった。

    注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。


    「ゼロ・グラビティ」の感想を簡潔にまとめてしまうと、宇宙空間で事故にあった宇宙飛行士が、どう行動したかという話である。

    上映時間は91分と、映画の平均からは短く、ストーリーらしいストーリーもない。

    それなのに僕は涙を流して感動した。これは映画が到達した最高峰の作品であるだろうと思う。


    いつもの記事と違い、先に感想をまとめてしまったのには理由がある。

    ここからは、特撮を必要とする映画についての考察を交えて「ゼロ・グラビティ」の感想を始めたいからだ。

    そういった技術的なことに興味のない方で、まだ「ゼロ・グラビティ」を観ていない方は、すぐにでも劇場に足を運んで欲しい。

    なぜなら「ゼロ・グラビティ」は3Dで観ることに特に意味があると思うからだ。


    さて、昔、特撮を必要とする映画というものは、観客に想像力が求められるものであった。

    もしあなたが1990年代以降の映画しか観たことがないのであれば、何を言っているのか分からないと思う。

    しかし、昔の特撮というものは、映画監督のイマジネーションを技術的に下回っていたのだ。

    例えばそれは、中に人間が入っている着ぐるみであることが十分に想像出来た。

    それは、その挙動から、何らかの糸で釣っているだろうことが想像出来た。

    物理的に制御出来ない水滴や火花などの粒の大きさから逆算して、映像に写っているそれは、本当は巨大な物体ではなくミニチュアであることが想像出来た。

    俳優の滑らかな動きに対して、コマ落ちしているような動きをしているそれは、ストップモーションの合成であることが想像出来た。

    およそ本物には見えないそれらを脳内で補完して、僕らは映画というものを観ていたのだ。


    転機が訪れたのは1993年だ。

    「ジュラシック・パーク」の冒頭で、CGのブラキオサウルスが立ち上がった時、僕はものすごい衝撃を受けた。

    僕は無類の恐竜好きであるので、動いている恐竜を見ることが出来たという衝撃もあったのだが、同時に映画に対してある確信を持った。

    それは、「今後、映画において、出来の悪い特撮を脳内で補完する必要はなくなるだろう」ということだ。

    そして、それは完全に現実のものとなった。

    現在、ハリウッド映画を観るにあたって、出来の悪い特撮によって現実に引き戻されることは、まずない。

    「ゼロ・グラビティ」においても、そういった技術的な進歩の恩恵を受けて、僕らはまさに主人公ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)の体験を共有することが出来るのだ。

    加えて「ジュラシック・パーク」の時には予想もしなかった3D映画の普及である。

    僕らは冒頭から、地球を見下ろす宇宙飛行士になれるのだ。

    かつて「ファイト・クラブ」で、ビルの壁を無視してカメラが縦横無尽に動いて度肝を抜かれたことがあった。

    どうやってこんな映像が撮れるのか?

    これも答えは徹底的にリアルに作りこんだCG空間の中をCGのカメラが動いているわけであるが、「ゼロ・グラビティ」においても、もはやカメラワークに制限はない。

    全体を見渡す引きの映像から始まって、カメラは船外活動中のライアン・ストーン博士に寄って行き、宇宙服のキャノピーを無視して顔にズームし、そこからシームレスにライアン・ストーン博士の視点に移動する。

    そして、観客はライアン・ストーン博士が見ているのと同じように、自分の目の前で、吐息に曇る宇宙服のキャノピー越しに宇宙空間を見るという仕掛けだ。

    宇宙空間というものは、こんなにも美しく、そして恐ろしいのだという純粋な驚きがそこにあった。

    考えてみれば、「ジュラシック・パーク」以降においても宇宙を題材にした映画は数多く作られている。

    3D映画も「アバター」「スター・トレック イントゥ・ダークネス」とSF作品との相性も良い。

    しかしである。今まで特撮を必要とした映画は、主に未来や異世界といったものの描写に力を入れてきた。

    まず、宇宙にいるということは前提で、そこに何を加えていくかという作業であったように思う。

    僕が「ゼロ・グラビティ」に驚いたのは、そういった新しいイマジネーションやビジュアルを一切使わない、いわば今までありきただりと思っていたことの中に、こんな鉱脈があったのかということである。

    現在の実際の技術の範囲内で宇宙で活動することを、徹底的にリアルに描写することが、こんなにもすごいことなのかという純粋な驚き。そして恐怖。

    確かに現在、昔より宇宙というものは近くなったように感じる。国際宇宙ステーションでは日本人のスタッフも活躍しているし、無重力状態での実験映像も目にすることが出来る。

    しかし、やはり多くの人間にとって、宇宙飛行士の体験というものは、実際には出来ないものなのだ。

    「ゼロ・グラビティ」は、危機的状況の宇宙飛行士というものを、まさに体験出来るものになっている。

    一方で、昔から映画にリアリティを求める手法としては、ストーリーをノンフィクションにするというものがある。

    例えば「アポロ13」がそうだ。実際に起きた事柄をベースにして、危機的状況の宇宙飛行士を描き、地上で彼らを地球に無事に戻すべく奮闘するスタッフを描き、家族を描き、そういった丹念な積み重ねがリアリティと感動を作っている。

    ところが「ゼロ・グラビティ」はフィクションであり、そういった重厚な描写はない。物語は宇宙空間だけで進行し、無駄な描写は何ひとつない。登場人物のバックボーンさえ、深くは分からない。

    それなのに、ノンフィクションを超えるようなリアリティと感動が、そこにある。

    こんな作品を出されてしまったら、他の映画監督は頭を抱えてしまうのではないか。

    終盤、おやっと思うようなフックになるシーンがある。

    そして、そのシーンの謎が解け、スイッチが変わってから、ラストまでの畳み掛けるような展開がまた素晴らしく、そこから僕は泣いてしまった。

    3Dメガネ外したくないし、まったく困ってしまうのだけれども(笑)

    最初に述べたように、「ゼロ・グラビティ」は映画が到達した最高峰の作品であるだろうと思う。

    映画好きで良かったと、しみじみ思える素晴らしい作品であった。

    ゼロ・グラビティ






     


    真夏の方程式 其の弐

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    真夏の方程式にオダさんが 其の弐 1

    真夏の方程式にオダさんが 其の弐 2

    #01: "オダさんには真夏の方程式役をお願いします"

    #02: "真夏の方程式役?"

    #03: "湯川先生が書いた方程式をよく見ると実はオダさんの人文字という"

    #04: "オイ"


    ※真夏の方程式役、気付いたかな?



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    映画「真夏の方程式」感想

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    ●前作「容疑者Xの献身」路線を踏襲している

    映画「真夏の方程式」観てきました。

    かなり遅れてのレビューです…。

    注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。

    「真夏の方程式」とは「容疑者Xの献身」に続く「ガリレオ」劇場版の第2弾。

    「真夏の方程式」公開に先駆けて、東野圭吾原作の「ガリレオ」シリーズの第2シーズンもテレビで放映された。

    キャストが一部変更になったせいか、若干テイストが軽くなった印象の「ガリレオ」第2シーズンだったが、「真夏の方程式」は前作「容疑者Xの献身」と同じく、西谷弘監督の手によるもので、テレビシリーズとは異なり堅実な作りという印象を受けた。

    「真夏の方程式」に先駆けてスペシャル枠で放送された「ガリレオXX 内海薫 最後の事件」も同様に西谷弘監督の手によるもので、「容疑者Xの献身」や「ガリレオXX 内海薫 最後の事件」をご覧になった方には、何となく本編とのテイストの違いをイメージしてもらえるのではないだろうか。

    東野圭吾原作の「ガリレオ」シリーズは、現在、「探偵ガリレオ(1)」「予知夢(2)」「容疑者Xの献身(3)」「ガリレオの苦悩(4)」「聖女の救済(5)」「真夏の方程式(6)」「虚像の道化師 ガリレオ7(7)」「禁断の魔術 ガリレオ8(8)」が出ている。

    そのうち、「容疑者Xの献身(3)」「聖女の救済(5)」「真夏の方程式(6)」が長編で、その他は短編集である。

    僕は現在の時点で、「聖女の救済(5)」までの原作を読んでいる。

    また「真夏の方程式」までにテレビで放映されたものは「ガリレオXX 内海薫 最後の事件」まで全てを観てから劇場に向かった。

    つまり、「真夏の方程式」の原作は未読で劇場に行ったわけである。

    物語は、主人公の帝都大学物理学准教授、湯川学(福山雅治)が、玻璃ヶ浦という美しい海の町に行くところから始まる。

    「真夏の方程式」はタイトル通り、夏のイメージで作られていて、この辺りは冬のイメージである「容疑者Xの献身」と好対照を成している。

    おそらく「真夏の方程式」を劇場に観に行く方は、多少なりとも「ガリレオ」シリーズに触れたことがあると思うのだけれども、仮にそうでなくても独立した物語として楽しめるようになっている。

    事前に押さえておくべき伏線としては、湯川先生が子供嫌いで、子供と話すとじんましんが出るということくらいか。

    柄崎恭平という少年と話したあとに、湯川先生が不思議そうに自分の腕を見るのは、本来なら出るはずのじんましんが出ていないということ。

    さて、ガリレオシリーズの短編は基本的には、そのトリックの技術的な面がハイライトになる。

    世の中、日々技術が進歩しているのだから、殺人事件のトリックも進歩しているのではないかということではないだろうか。

    実際、湯川先生は「現象には必ず理由がある」と、トリックにのみ興味があり、犯人にも犯人の動機にも興味はない。

    しかし、現在までのガリレオシリーズの長編3本は、トリックに目新しいものがないという特徴を持つ。

    特に、劇場版の「容疑者Xの献身」「真夏の方程式」は、トリックは凡庸だが、その動機が複雑であるのだ。

    そのため、謎を解明するには、「トリック」よりも「動機」を理解する必要性が出てくる。

    必然的に、理(トリック)vs 情(動機)という構図になるわけで、湯川先生にとっては、このような事件の方が難易度が高いのだ。

    個人的には、「容疑者Xの献身」に比べ、これで良かったのかと思う部分も多い。

    その辺は、登場人物がかなり多いので、描写不足になってる部分があるのかもしれない。

    しかし、嘘が嘘と分かりながら、それでも全体像がなかなか見えてこない構成は面白い。

    また、湯川先生が苦手なはずの子供との交流が、とても爽やかな印象を残している。

    物語の構造は前述の通り、「容疑者Xの献身」を踏襲した路線なので、前作を楽しんだ方なら問題なく楽しめると思う。

    真夏の方程式にオダさんが 1

    真夏の方程式にオダさんが 2

    #01: "面白かった"

    オダさんが良かった

    #02: "オダさん?"

    #03: "え!"

    #04: "子供にしか見えなかった"

    "え?"


    ※確か織田裕二出演って話だったけど…



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    「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」感想(1)(ネタバレあり)

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    ●ついに辿り着いた希望への序曲

    (承前)

    さて、そんなわけで、新劇場版3作目にして、ついに劇場へ行くことに。

    しかし、事前にチラホラと流れてくる「訳が分からない」という噂…。

    うん?ここにきて訳が分からないとな?

    と、一抹の不安とともに劇場へ。

    予告編のあと、スタジオジブリ作品のトトロの画像のあと、樋口真嗣監督の「巨神兵東京に現わる」からスタート。

    この短編の製作開始のニュースはネットで見たけど、詳細を知らなかったので「?」な僕。

    巨神兵なのに、なぜナウシカの声じゃなくて綾波の声なの?

    しかし、「Q」を観終わった今となっては、そんなこと出来るのか分からないが、これは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」のDVDに同時収録した方が良いと思う…。

    なぜなら、「巨神兵東京に現わる」は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」と同時に観ることに意味がある映像だと思われるからだ。

    (追記:劇場公開時の同時上映作品「巨神兵東京に現わる 劇場版」もBD・DVDに収録されているとのこと)



    そして、いよいよ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」スタート。

    既に観ていた冒頭6分38秒から。

    あれ、TV版と違ってマリが歌ってるね?

    と、その冒頭6分38秒のあとが予想外の展開。

    ここからが頭の中が謎解きフル回転モード(楽しい)だ。


    僕はここで前述の「訳が分からない」という噂に引っ張られていて、

    ・真のエンディングにたどり着かないように、さらに謎を足してきている?

    ・ここは「破」とは違ったパラレルワールドなのか?(前回のレビューで書いたが、渚カヲルがパラレルワールドを認識しているとなると、劇中でまた別のパラレルワールドに移動する可能性が出てくる)

    などの予想を立てつつストーリーを追っていた。


    しかし、その予想も「14年後」の台詞で帳消しになる。

    ん?14年後?…ということは極めてまっとうに話が進んでいるんじゃないか!

    そして、その14年の空白は、我々観客のみならず、シンジ君にとっても同様なわけで、これはうまい演出だといえる。

    我々はここでもシンジくんとシンクロしていることになるわけで、我々の疑問はそのままシンジくんの疑問といえるからだ。


    しかしここで、エヴァで初めて主人公・碇シンジがストーリーの中心から外される。

    なんたって「破」のラストで「行きなさいシンジ君!」と、彼の行動を肯定し、今まで常にシンジ君の良き理解者であった葛城ミサトから拒絶されるのだからショックは大きい。

    しかも、旧作と違って新劇場版のシンジ君は頑張っているように感じられ、なおかつ観客は彼に感情移入できる構成になっていたのだから尚更だろう。

    おそらく世間にある「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」への否定は、「序」「破」で積み上げてきたシンジ君の努力が水泡に帰す(いや、実際はもっと悪い)ところにあるのではないだろうか。


    ただ、忘れてもらってはならないのは、「Q」はあくまで4部作の3作目だということ。

    それに、今作は「Q」と冠されてはいるものの(QがQustionのQと仮定してだが)そこに示される情報は、新たな謎よりも、今までのエヴァの謎に対する答えの方が圧倒的に多い。

    確かに変化球ではあるが、しかし最終的にはストライクコースに来ているのが、本作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」だ。

    そもそもボールを投げて来なかったり、明後日の方向にボールを投げたというのであれば、「壊れた」「訳が分からない」の批判もあり得ると思うが、「Q」はそれには当たらない。

    ただ、打者としての力量が問われる作品であるということは言えると思う。


    実際に、僕は「Q」を観ることによって、エヴァに対する疑問のかなりの部分が解消した。

    そして同時に、旧作に対する感想がまるっきり変わってしまったのが事実だ。

    「そういうことだったのか。今までその可能性については1回も考えたことなかった!」と。

    そのために、TV版-旧劇場版までさかのぼって感想を書いた次第である。

    旧作において、僕は、「おそらく大風呂敷を広げたものの、難解な設定や伏線に対する答えは最初からなかったのであろう、と」結論づけた。

    しかし、それが間違いであったことを思い知らされたのだ。


    「Q」は4部作の3作目ということもあってか、かなり厳しいストーリー展開になっていて、そのまま終わっている。

    しかし「序」「破」「Q」では旧作とは決定的に異なっている点が一つある。

    その一つの違いこそが、新劇場版に残されている「希望」なのだ!


    逃げちゃダメだ

    #01: "序 ふむふむ"

    #02: "破 なるほど"

    #03: "Q え!そういうことか!"

    #04: "感想が長くなりそうだけど逃げちゃ駄目だ"


    ※お約束



    …ちなみに、今回の「Q」によって、なぜ新劇場版は4部作なのに「序破急」という3幕構成のタイトル+1(シン・エヴァンゲリオン劇場版:||)という謎も明らかになった。

    それに関しては、回を改めて「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」感想(2)に続く…(ラストシーンに対する考察なので、しばらくあとで…)


    ● 関連記事:「エヴァンゲリオンTV版-旧劇場版」感想(ネタバレあり)
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